ヘイトスピーチは忌むべきものです。

しかし、ヘイトスピーチ規制は相当慎重に考えなければなりません。

憲法21条によって保障される表現の自由は、何にも代えがたいものです。

表現の内容規制(わいせつ、名誉棄損・侮辱などの○○な内容の表現は禁止というもの)と表現の行為態様規制(道路に広がってデモ行進をすること、新聞に広告を打つこと、などの表現方法に関する禁止というもの)と表現の自由に対する規制は2パターンに分かれますが、特定の表現の内容を公権力をもって禁止するということはかなり限定的に考えなければなりません。原則としては、不当な内容の言論は、言論の自由市場の中で淘汰されるべきものです。そうでないと、公権力が特定の言論を禁止することで、事実上言論統制ということになり、民主主義が機能しなくなるからです。民主主義は、反政府的な言論を自由に認めることにこそ意味があります。特定の言論の内容を公権力で禁止することはかなり限定的に行わないと違憲と考えられます。わいせつ、名誉棄損・侮辱というのは、表現内容に係る規制なので、かなり限定的に理解されています。

ヘイトスピーチ規制は、当然だが表現の内容規制に当たります。当然ですが、どこからがヘイトスピーチで、どこからがヘイトスピーチではないのか、そういう議論が行われることになり、表現行為に委縮行為が起きます。最終的に規制するとしても、わいせつ事件同様に法定化された後、かなり裁判で争われることにより判例上内容が確定するまでは、表現に委縮効果が生じる可能性が高いです。

こう考えたときに、原則として、ヘイトスピーチ規制をかなり安易に(ほとんど何も考えず)考えてはなりません。相当慎重に、かつ相当時間をかけて議論しないといけないと思います。

民主主義に携わる人間が自ら民主主義を軽視することだけは、避けなければならない、そう思っています。

欧米で規制している例がある、だから…、みたいのなのを「ではの神」と呼んでいますが、そういう議論は考えを放棄したバカのやることであり、決して適切ではありません。最終的に規制すべき線引きの落としどころと表現の自由に対する悪影響への対抗措置に自分で納得できれば賛同することもありえますが、今のところ、基本的には反対です。