通常国会でもずっと議論を続けていた内容に大きく関連します。

児童ポルノ規制をするにあたり、かなり表現の自由に関する議論を致しました。

大学で憲法学を習う時に最も強調されることの一つが表現の自由です。憲法というものはいわゆる社会契約として国民が国の形、あり方について定めた法規範です。特に日本国憲法の人権規定は国民の権利を最大限保障し、国民から国家運営について委託を受けている権力サイドに対してベカラズ規定を設けたものです。一方の権利を尊重し、そちらを守れば他方の権利が立たずの関係にある時に、『公共の福祉』という理由で権利の制約を認めるものです。表現の自由は民主主義の成立にとって非常に重要だとされ、その制約についてはかなり限定的に考えるべきとされています。すなわち、多様な意見があり、それをぶつけ合わせることにより、弁証法的により良い答えが出てくるはずで、だから民主主義が成り立つには、色々な表現を認めることが必要とされるのです。表現の方法(本を書くか、ブログか、デモ行進するか、などなど)についての規制は他に方法を変えることで同じ意味合いを持たせることができ得るので、まだ制限を認めやすいが、表現内容については権力に対する異論だったり、新たな問題の提起をすることその内容が大事であり、規制することはかなり限定的に考えられるべきとされる。

猥褻な内容の表現の規制の可否については、表現内容規制の中で最も問題になるものです。チャタレイ裁判やら四畳半襖の下張り事件やら。

これら基本的に権力(要は行政)が恣意的な取り締まりをすることを問題視していて、価値観を権力側が統制することに対する歯止めをいかにか問題であった。

しかし、今回の記事を見てみると、警察が声の大きい誰かからの通報を受けて、警察から美術館に指摘し、美術館とアーティスト側が自主的に規制・対応したということのように見える。警察は権力側の考えを押し通して表現の圧殺をするというより、公衆の健全な風俗の維持を主張する言論に配慮して、面倒臭いから言うこと聞いてね、とアーティスト側にお願いした、というところじゃないかと思う。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140822-00000011-wordleaf-soci

なんか憲法が想定している権利侵害とはかなり異なる話しなんではないかと思うが、これで声が大きい人が勝つということになってしまうと、それはそれで問題だ。本来であれば、表現の価値自体は等価値なはずだし、本来なら立法的または司法的に調整するのがスジではないか。

まだ生煮えなのでもう少し考えを整理してたいと思う。