昨日、移動中ラジオで岡田克也氏の質疑と安倍総理の答弁を聞いていました。
彼らの憲法に関する議論がポイントをつかんでいないように思います。

概ねやり取りは↓の通り。

岡田「集団的自衛権行使容認によって、自衛隊入隊者が減るのではないか。その結果、徴兵制採用の議論が再燃する。」
安倍「徴兵制は意に反する苦役に該当する。明確に違憲」
岡田「憲法9条の解釈を一内閣の閣議決定で変更して、集団的自衛権行使容認を認めた。同じように徴兵制を解釈変更で合憲とする内閣が出てきたらどうするのか。一内閣で憲法解釈を変更した悪い前例を作ってしまったことになる。」
安倍「今回の憲法解釈は、昭和47年の政府の答弁書に整合している。基本的な考え方を変えるものではない。徴兵制との関連でいえば、意に反する苦役に該当することは明白。そもそも徴兵制というのは為にする議論。関連性がない。集団的自衛権を認める国の大半が志願兵制度。」
岡田「憲法9条の憲法解釈を一内閣が勝手に変えた事が悪い」

以上、引用終り。

憲法をきちっとわかっていたら、こういうやり取りにはならないはずです。

そもそも、憲法解釈の最終判断権者は最高裁判所です。憲法81条に明確に定められています。内閣が閣議決定によって憲法解釈を示そうが、それは憲法上最終解釈とは認められません。要は、内閣も憲法尊重擁護義務を負っている以上、憲法に従わないといけないのです。憲法に従うにしても、その意味が分からなければ従えないので、時の内閣が憲法の意味はこうだと理解する、と宣言しているだけです。

では、なぜ昨年7月に、憲法9条の解釈について、内閣が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をだしたことが問題となるのでしょうか。

その問いに対する回答を出すには、2点前提として理解しておく必要があります。
① 一点目は、最高裁判所の憲法判断は、具体的な民事事件や刑事事件に付随して、当該事件を解決する限りにおいて行われる、という現在の運用に対する理解が必要です。
② 二点目は、憲法の規定が、人権規定と統治機構規定に分けられることを前提として知っておかねばなりません。

以上を前提として、以下議論します。

憲法の人権規定については、実際に行政や立法がこれに違反すると、必ず国民の権利が侵害されるので最高裁判所が権利侵害に関する裁判のプロセスの中で憲法判断を行うことができます。その中で公式的な日本国憲法の解釈が確定します。
しかし、憲法の統治機構規定について、実際に行政や立法がこれに違反しているようなことがあっても、国民の権利が侵害されておらず具体的な争訟が無い以上、最高裁判所が憲法判断を行うことができないのです。
すなわち、統治機構規定については、現状の運用としては、最高裁判所が憲法解釈を示すことができない状況にあります。だからこそ、憲法9条を含む統治機構規定については、最高裁判所が解釈を示すことがないので、次善の解釈として行政の解釈が重視されている、ということになります。

他方、人権規定については、最高裁判所が憲法解釈を示すことが出来ますので、最高裁判所の憲法解釈が我が国の憲法に関する公定解釈になります。
仮に徴兵制を定める法律が立法府で定められ、それに伴い徴兵が行われたら、最高裁判所から、憲法18条(意に反する苦役の禁止)に反し法令違憲という判決が出るだろうと思います。仮にこういった判決が最高裁判所から出されたら、これこそが我が国の公定憲法解釈になります。仮に行政が閣議決定で憲法解釈を出したとしても、それは意味を持たなくなります。だから徴兵制に関連して、憲法18条の解釈論を行政が変更するか否かを議論しても全く意味がありません。

問題は、9条を含む統治機構規定については、最高裁判所が公定憲法解釈を出すことができないことにあります。
維新の党については、こういう課題認識に基づいて、抽象的に憲法解釈を行うドイツ型の憲法裁判所という組織を作るべき、と言っているのだと理解しています。
維新の党の持つ課題認識は完全に正しいです。
しかし、私は、課題解決手法として憲法裁判所を置くことが必要だとは思いません。むしろ現在の統治機構規定に対して憲法判断を行わない運用を行っている最高裁判所の運用を改善していくことで足りると思っています。
私自身は党の見解には必ずしも賛同しませんが、しかし課題認識は共有しています。

しかし、岡田さんの見解は、正直課題認識が誤っていると思います。
岡田さんも、安易に安倍総理を批判するために、為にする憲法議論をするのではなくて、もう少し建設的な議論をした方がいいと思います。