平成27年度予算案3案が、3月13日に衆議院で可決いたしました。

本年度予算は、概ね、一般会計予算96兆3千億、特別会計予算403兆6千億(特別会計間のお金のやり取りなどを除いた純計額151兆円)の内容になっています。政府提出の予算案は、自民党・公明党などの賛成により、3月13日の衆議院本会議での可決を致しました。

民主党は単純反対、

維新の党と共産党は政府提出原案に対して反対したうえで、それぞれ予算案の組み替え動議(部分的な修正を財務省にお願いする旨の決議)の提出を行いました。

予算を巡る議論については、2年前、それ以前と大きく異なる進歩がありました。一昨年は、日本維新の会とみんなの党が共同して、政府提出の予算案に対する修正案を提出致しました。また、昨年は、日本維新の会と結いの党が共同して、2年連続で予算案の修正案を提出致しました。特に、一昨年の予算修正は、片山内閣以降初めて、実に60年ぶりに国会において予算の修正案が提出され、採決されるという画期的なできごとでした。

そもそも、憲法上国会が予算を修正することができるか否かについては、憲法上明文がないので、憲法学説上も議論のあるところです。憲法86条に定める、「予算」の法的性質は、国会で定める法律とも異なる法形式であると考えられています(予算法形式説)。これに対して、大日本帝国憲法下における予算は、単なる行政措置であって、法的な拘束力はなかったと考えられています(予算行政説)。その意味するところは、現憲法下においては、大日本帝国憲法下と比べて予算に関する国会の権限が強化されているからこそ、一定の法形式性が認められているのであり、これを踏まえると、国会による予算の修正は増減額ともに行うことができると考えられるのが通説的見解です。 

以上のように、予算の修正は、大日本帝国憲法下ではできなかったものであり、日本国憲法下において初めて認められた国会の大きな権限です。それにもかかわらず、歴史的に見て、予算の修正が行われてきませんでした。その理由は、大きく4つです。

①予算書そのものが、単式簿記・現金主義の原則に基づく非常に複雑な公会計基準に従って作成されており、国会において修正することが技術的に難しいこと、

②国会法の定めによれば予算の修正案の提出そのものに高いハードルが課せられていること(提出者最低1名、賛同者最低50名)

③国会議員が予算に関する理解不足・勉強不足があること

④与党事前審査の存在など、予算委員会の審議の形骸化が生じており、委員会における審議を受けた結果問題点を発見し、それを修正する、という仕組みになっていないこと

などが挙げられます。

こういった中、一昨年、昨年と予算の修正を、日本維新の会とみんなの党/結いの党で共同で提出したことは、国会が本質的に行うべき権限を発揮することができたという意味において、非常に意義深いことでした。

しかし、これを可能足らしめたのは、ひとえに桜内文城前衆議院議員個人の能力と持ち合わせているスキルセットに依存する部分が非常に大きいものでした。国家経営における数字における事業管理(すなわち財政そのもの)とそれに対する民主的コントロールの必要性を強く感じていらした桜内文城前衆議院議員が、エクセルでマクロを組んで複雑な予算を作り直すことのできる会計システムを作り出したこと、これを使って予算の組み替えを実際に数字で出したことが大きいです。桜内文城前衆議院議員の落選は、我が国にとっても非常に大きな損失であると思います。私自身が1期2年の間に見てきた他の議員の中でも、もっとも優秀だと思った方の一人です。

そのせいもあり、本年は、維新の党が単独で予算組み替え動議を提出したのみであり、予算の修正案を提出することができませんでした。非常に残念です。3月12日の柿沢政務調査会長の記者会見は、維新の党が予算に対する対案として予算組み替え動議を提出する旨の発表をして、予算の対案を提示することの意義を強調していましたが、昨年・一昨年の野党案の予算修正案を提出したことと比べるとパンチが弱いと思います。

予算委員会における審議のなかにおいては、野党側は政治資金スキャンダルの追求と世論に受ける持論の訴えに終始していた印象が強いです。非常に残念であると思います。

やはり、予算委員会では、予算の内容をきちんと審議をして、数字と政策論の議論を行うことが大事です。正直、本来的にやるべきは、自分たちの世界観に基づく予算の対案/修正案を国会に提示し、並行して審議に入ること、その上で比較しながらチクチク予算内容の数字とその背景の政策論の議論を行う予算の審議であるべきでしょうし、その方がはるかに、(テレビ的には全く面白味は無いですが)社会的意義としては高いと思います。

予算委員会は、「何でも議論して良い委員会」から、「予算」の審議をする委員会への脱却を図っていかなければならないと思います。国家経営という観点から見ても、予算の内容とその内容となる政策についての議論を十分にする必要があります。民間企業の経営と基本的には一緒だろうと思います。

予算審議中に対案の提示をすることなく、突如予算の採決直前に組み替え動議を提出して、対案提示政党だと言い張るのは、少し無理があるというのが正直なところだろうと思います。やっつけで出しただけ感は否めないです。

しかし、ここまでの対応が今の政治におけるシステム上の限界です。本質的な議論は予算の国会提出以前に終了している、すなわち与党事前審査まで全てが決まっているという状況があるからです。このような、対案無き、議論無き国会を民主主義と呼んでいいのだろうか。国民からの選挙によって選ばれた議員によって構成される議会での議論こそがすべてであるべきであり、議会での議論の前に本質が決まっているというのは本末転倒でしょう。

現在の政治は、こうした本質的な問題点をたくさん抱えています。

野党は、こうした本質的な問題点に対して、統一世界観に基づく実現可能性と期待感のある政策パッケージを提示しなければ、正直存在意義がないと思います。今、維新の党自体も、身を切る改革一本槍のシングルイシュー政党からの脱却が問われています。政治資金スキャンダルなどを追求して時間を空転させている暇はないと思います。きちんと政策パッケージの準備をしておかないといけないでしょう。

私自身は、これから更に勉強を続けていきたいと思います。

国会議員に戻るだけではダメなんです。「議員先生」になりたいわけじゃないです。今の日本と未来の日本に危機感を覚えているだけです。その改革をする為に、国会議員というポジションが必要だと思うだけです。私は、きたるべき改革の時に向けて、自分自身に力をつけていきたいと思います。

たまっている原稿もありますが、今後いくつか予算の内容そのものについて思うところもいずれまとめていきたいと思います。