昨年12月25日、初登院を前にして、自分の政治を志した原点を確認するために福島県南相馬市を視察しました。

やはり東日本大震災と福島の原発事故によって日本の政治の様々な問題点が表に出てきたことを改めて認識し、日本の再興のために一心不乱に働くことを誓うという意味を込めて、初登院の前に罹災地を再訪致しました。南相馬市小高区は、福島第一原発から20km圏内にあり、2012年4月に警戒区域の指定が解除されて避難指示解除準備区域に指定されている場所です。2012年4月まで立ち入ることすら許されなかった地域ですので、地震と津波から1年9ヶ月経過したにもかかわらず、いまだ地震と津波の爪痕がいまだ色濃く残る地域です。

南相馬市職員である私の友人にアテンドを頼み、建築住宅課仮設住宅係長廣田氏と除染対策課課長羽山氏から話を伺いました。

南相馬市は、震災前には7万人を超える人口がいたものの、震災直後に人口1万人程度に減少し、2012年12月末時点で約4万5千人程度に回復しているそうです。12月時点で、仮設住宅に居住している住民が約6,700人程度で、市内に帰還したいと考える住民が増えており、仮設に居住する方が徐々に増えているということ。最大の課題は、仮設住宅の増設ができずに、帰還を希望する住民の受け入れができない状況にあるということだそうです。応急仮設住宅の増設に関しては厚労省管轄でありますが(特定非常災害の被害者の権利利益の保全等を図るための特別措置に関する法律)、厚労省としては仮設住宅問題は終わったものとして扱われてしまっているということです。隣接する行政単位である相馬市内には仮設住宅が余っているので、そちらへの入居を案内するように指示されるということです。ヒアリングをした廣田氏は、住民の故郷に住みたいという希望を叶えられない現状に悔しさを感じているようでした。

除染に関連して、最大の問題点はやはり仮置き場の問題。除染の結果発生する放射性物質に汚染された土壌や瓦礫をどこに保管するか、ということが問題となります。国会事故調の報告書においても指摘しておりますが、汚染土壌や瓦礫を保管する中間貯蔵施設の設置が決まらないことから、住民の間では中間貯蔵施設に汚染土壌や瓦礫を移すまでの間の仮の保管場所である「仮置き場」が最終的な処分場所になるのではないかという不信感が拭えず、その結果として行政が仮置き場の選定にも苦労をしている現状があります。仮置き場が決まらないと除染が進まないという実務的な問題点があり、今現在では仮々置き場という場所を設けて、汚染土壌や瓦礫を保管している状況にあります。

小高区の現状は、昨年6月に瓦礫の片付けのボランティアに伺った際とあまり変わらないというのが正直な感想です。地震のおかげで地盤が沈下しており、海岸近くの農地だった場所が池のようになっており、田んぼの中に処理されていない車や農機が放置されている状況はあまり変わらず。

もっとも、徐々に復興の足あとが聞こえてきており、少しずつ夢が持てる状況に変わってきている点もあります。小高区の商店街は地震の影響で倒壊した建物も多く、昨年4月まで警戒区域に指定されていたこともあり、ほとんどの商店では営業が行われていなかったのですが、数件営業を再開している店を発見しました。理容室のKさんという方に話を伺ってきました。自分たちが頑張ることで町の復興につながってほしい、という希望を持って営業をしておりました。まだ、小高の町中は、上下水道が開通していません。水を大量に使う理容室を営業するために、Kさんは一日になんども水を汲みに役場まで足を運んでいます。一歩づつゆっくりですが、復興に向けて動き始めているという事を知りました。

ただ、放射性物質に汚染された町が復興するということは物凄く難しいことだという点は理解しておかなければなりません。結局、町というのは、道路、上下水道、家屋といったハード面が立て直るだけで、復興するわけではありません。病院、商店、学校といったサービス機能(ソフト面)が回復して初めて、人が帰還することができるようになります。さらには、町に高齢の方だけ帰還したとしても、結局持続可能な町にはならず、衰退するだけの町になりますので、若年層の方々が帰還する事ができる状況が整わないと町の再興はできないのです。若年であればあるほど放射線感受性が高いと言われておりますので、若年層の方々がこの町に帰還するのは相当先になるかもしれません。そのような観点から見れば、町全体の再興は非常に時間がかかり難しい問題だと思います。単に警戒区域指定を解除したから簡単に住民が帰還でき、そして町が再興するわけではないことを改めて実感しました。

椎名つよしは、こういった難しい課題に精一杯取り組んでまいりたいと考えています。

※写真1枚目は牛越の仮設住宅

※写真2枚目は小高の商店街で営業する理容室のKさんと

※写真3枚目は小高の海岸沿いの状況(6月に瓦礫片付けに訪れた際に撮影したもの)